見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

きのこ帝国『夢みる頃を過ぎても』/ 夢が消える直前の煌めき

夢を見ているとき、自分が夢を見ていると気がつくことはそうそうない。

 

だから夢から覚めたとき、はっとする。いったい私は今までどこにいたのか、何を見ていたのかと。しばらく夢と現実がごちゃまぜになって、地べたに足の裏をしっかりとくっつけて目を開きながら、夢をこさえることがある。それは妄想だ。

 

ほとぼりが冷めると、気がつく。あれは全て夢だったと。

私の希望であり期待であり、手の温もりで守っていた理想だった。

 

叶わなかった夢を振り返る瞬間、季節がひとつ先へ進む。気づきたくなかった。

雨上がりのアスファルトのように濡れて光っている。

そこかしこで煌いているのは、この前まで描いていた理想の断片。

 

目の前で蒸発して、空気に溶けていった。

目には見えない、何の音も聞こえない。恐ろしいほど静かだ。無色透明な現実に吸収されて消えて無くなる。

 

夢はたいてい淋しく虚しい。いつまでたっても触れることができない。できないまま、消えてしまう。

蒸発した理想に思いを馳せ、目を瞑れば一瞬で朝が来る。開けていた窓から、思った以上にひんやりした風が入ってきて、腕をさすった。明日もこの腕を振って歩くんだろう。

 

そろそろ寝よう。

 

現実は甘くない。物事は期待どおりに進まないし、滑稽な格好で踊っている最中だろうか、あっちこっち擦りむいていて全身がくまなく痛い。だけど心の奥底で踏ん張って、意識のずっと遠くの方で、細い糸をピンと張って。両手を身体の脇に軽く置いて、朝が来るのを受け入れる体勢。グーに握っていた両手を開いて太ももを撫でると、動悸がし、僅かに身震いした。いたらぬ精神を乗っけた肉体をいつかあるべき場所へ向かわせてくれるのは、結局のところこの両足でしかない。

 

もうすぐ眠る。朝が来るのは恐ろしさもあるが、やはり尊い

夢があろうがなかろうが、夢が消えたって現実が苦くたって、誰がなんと言おうが朝が来るのは尊いのだ。

 

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金木犀の夜 / 夢みる頃を過ぎても

金木犀の夜 / 夢みる頃を過ぎても

 

 

この他愛無い覚悟と人知れぬ葛藤は、きのこ帝国『夢みる頃を過ぎても』という曲の中で、「明日(あした)に落ちてく」と表現されている。

 

 

ブログを始めて3ヶ月経った

隣の芝生が青すぎて、ひたすら眠った。

椎名林檎の『おだいじに』を聴きながら、もしかしたらこのまま何者にもならず生き続ける未来にも思いを馳せた。 

おだいじに

おだいじに

 

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4月、<h2>タグとSEOの呪縛から逃れることができた。伝えることと、表現することは似て非なることを知った。伝わらなくてもいいから書こうと思って、書き始めることができた。いまもそのスタンスは続いている。

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5月、書きたいことを書ききる経験。たぶん消化不良を起こしてしまうと思ってこわくて読めなかった本を、やっと読むことができた。その感想を立ち止まりながらも表現する、かつ、伝わるを両立する文章が書けた。

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他にも、出したくなったことを出すだけの文章をいくつか書いた。

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 『異類婚姻譚』でずっとやりたかった構造把握をして、気づきがたくさんあった。

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6月、りっすんブログコンテントに応募。いつものように勢いだけではなく、ちゃんと段取りしながら書ききった文章。途中、書きながら泣きそうになった。そのまま駆け抜けて、書き終わったときちょっと涼しかった。

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 そして6/10(月)、初めて文学賞に応募する。どんな駄文でも、どんなに「これじゃない表現」の連続でも出す。出すのだ。

 

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3ヶ月以上気持ちを持続させながら目標や夢に向き合ったことがなかった。本当に、薄っぺらい人生を歩んできてしまったせいでいま苦労している。「しんどい」と同じ志を抱く聡明な友人に漏らしたら励ましてくれた。「前に進むことは疲れる、新しい景色をたくさん見ることになるから」と。前に進んでいる実感がなくて、同じところをぐるぐるぐるぐるしているような感覚だったから、そういってもらえたのはびっくりだった。

 

たぶん彼も静かに、静かに、前に進んでいるのだと思った。

 

だから柄にもなく、4月、5月、6月とやってみたこと、うまくいったことを書き出すなどしてしまった。しんどいなどと他人を捕まえて漏らす前に、やっておくべきなのだろう。反省している。こうした自慰行為は、ノートにでも書いて誰にも見られていない場所で済ませるべきなのだろうが、自意識がバグってしまったのかもしれない。本当は自慰行為だなんて蔑まなくてもいいのかもしれない。自分自身に正当な評価を下す練習。25歳を目前にして本気で取り組む必要がありそうだ。

 

骨が折れる。

 

あまり眠っている暇はないのだろうが、やっぱり隣の芝生が青く見えたら眠る以外の方法を思いつかない。

 

雨を書けるようになりたい私は、この夏ミニトマトを育てることにした

今週のお題「雨の日の楽しみ方」)

 

water drops on glass

雨と、雨の日を美しく写真に撮れても、暖色の光が照らす部屋ではその写真をみてもあまり感動しない。

 

少し気分が落ち込んだときや、ジメジメした生活を愛してしまう日、私は言葉で雨を読みたい。

現実の雨ってこんな感じだよね。

 

紫陽花は、英語でhydrangeaっていうらしい。ajisaiではないのだといま知った。

なかなかないよね、紫色と青色の紫陽花がどちらも生えている場所。

blue and white flowers

 

ジメジメした日常を愛している。はつらつより、ちょっとだけ信頼できるような気がしている。だけどよくわからないところに力が入っているせいか、花を飾るほどの心の余裕はない。

 

To Do 花瓶を買う

To Do 紫陽花を買う

 

玄関先に咲いていて自由に摘んでこれてちょうどいいサイズの花瓶をプレゼントしてもらって、花が半年くらい枯れないでいてくれるなら飾るのに。

 

To Doを達成する機械的な工程が、しみじみと愛でられる日常につながっているのは世の常なのでしょうか。丁寧なくらしはTo Doの積み重ねで成り立つのでしょうか?

 

many people using umbrella during nitght time

雨の日の渋谷か。これまで縁がなかった。雨で連想する光景はなぜかいつも殺風景。

 

だけど雨のなか、渋谷センター街を歩いている人の心の中をのぞいたら、彩度がいつもと違う気がする。

clear glass ppanel

 

伝えたいとか伝えようとかそういうのではなくて、見たものを見たとおりに書く技術。色と音を文字で表す技術、ああほしい、ほしい、ほしいほしい欲しくて欲しくてたまらない。手の中にないなら、本を読んで街に出て人と話して。でもどれも心が晴れていないとできないことばかり。 

 

だったら晴れよう。晴れるしかない。晴れたい、晴れて。まずは部屋にあじさいを飾ろう、次にミニトマトを育てよう。

selective focus photo of red cherry tomatoes