見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

令和の時代になったので、実は健康な人を型に嵌めてラベリングする「メンヘラ」なんて表現は一掃しておく

 

 

健康的な生活を送りたいなあ。(今もそこそこ健康なんだけどさらに)

突き詰めれば、早寝早起きとか?(笑)......無理か。

 

私がフィクションで書きたいことを、あえて二元化すると正負の感情のうち、負の感情です。そもそも感情って、目に見えるものとしては負でしかないように見えても、無自覚に、真反対のものが隠れているなんてことも多々あります。説明がつかないものを、説明しながら生きていくってもんです、人間は。

でも負の感情を書くからといって、自分自身の精神状態が負である必要はないと思っていて。負の感情に陶酔しながら書くのは不健康だし、私がやりたいことではない。何を書こうとも、自分自身は健康でありたいと願っています。健康でありながら、この世の「負」を理解したいし言語化したい。文章力とか表現力とか?知識とか継続する力とかそういうものは置いといて、私にはそれができるような気がしています。(そこだけ変な自信がある)

歌舞伎町の女王

歌舞伎町の女王

 

かつて椎名林檎が、歌舞伎町を知らなくても『歌舞伎町の女王』という曲をかけたように、健康的であっても「負」の感情を書くことはできると思うんですよね。自分の気持ちを垂れ流すのと、丁寧にフィクションとして描くのは全く異なることなので。

そもそも、ちょっとでも楽に生きていくために書くことを選んだのに、死にそうになりながら言葉を使う人生なんてたまったもんじゃない。それなら大好きなコンビニでバイトしてた方が楽しい人生になりそうだ。

 

ちなみに、今さらどうこう反論する気もなかったんだけど、今日は言いたいことが言い切れる気がしたので、あえてこのテーマについて書こうと思い立ったので続けます。

今日はケバブを食べました。私はずーっと元気です!

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引用:食べログ (サライケバブ雷門店) https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131102/13148975/

負の感情がどうたら〜とか言ったり、生死について言語化すると、「病んでんの?」とかナチュラルに聞かれます。いいえ、まったくです。今日はケバブを食べました〜。

「病んでる」とか「メンヘラ」とか言われるのが、実際結構イヤです。ナチュラルに悪口なのに、他人の状態を客観的に分析しています感があるのがイヤなポイントですね。頭が悪いとか、胸が小さいとか、言われるのと同じくらいイヤです。多分それほど頭も悪くないけど、「頭悪い」って言われるとめっちゃやだし、胸はかなり小さいけど、「胸が小さい」って言われると悲しいので、事実かどうかとか、本人がそれを自覚しているかは関係ないのだと思います。(どっちも聞こえないように言ってくれるのであればオッケーだよ・・・)

頭が悪い人に「頭が悪いね」って言う人はなかなか少ないし、「胸が小さいね」も母以外からは言われませーん。でも、なぜか「病んでるね」とか「メンヘラかよ」とかは言われがちです。胸が小さいと同じくらい事実であれば、言われたことにただ傷つくだけなんだけど、別に私は病んでたりメンヘラだったりの自覚はないので、「いかに私がそうでないのか」を説明するモードに入ってしまいます。まあ、もう最近はそういう言葉を投げつけてくる輩が身の回りからいなくなりつつあるので、反論する機会もなくなっているのですが。でも今もどこかで、私と同じような趣味、嗜好を持った人が、無神経かつ細かいことにこだわらないのがウリの嗜好の人たちから、「病んでる」とか言われるんだろうなと思うと、胸が若干痛みますね。

とはいえ、ドンピシャな表現ができないこともあるよね、わかる

ああでもね、私もうまく言語化できない時、「心にちょっと淀みを抱えているのかな?ってその時は思った」とか、「私には理解できなかったけど、何かしらのことが原因で元気がなさそうに見えたんだ」って言いたい時、「病んでるのかなって思った」とか口がすべって言っちゃうことがある。実際、言っちゃって、「あああそうじゃないんだって、んんでもなんて言えば」ってなったことがあるんだよ。違う、そんな風に思っているわけじゃなかったんだって、表現を訂正したい場面が、最近になってもまだ何度かある。

だから別に、そう言ってきた人を悪者扱いしたいとか、糾弾したいとかではないのよ。できれば無自覚に、他人を「病んでる」断定しちゃったり、自分にとって縁遠いことに思いを馳せている人を捕まえて「メンヘラ」とラベリングしたりするのを、踏みとどまってほしいということを言いたいだけです。そして、そういう人を、メンタルがヤバイとか精神が健康でないと決めてつけてしまう想像力の無さを、自覚した方がいい。もっと誰もが生きていきやすい時代に変えていこうする意思があるのならば。

生きてることに執着している、みんな同じ。以上!

私は先に書いたように、負の感情に心を動かされることが多いし、負の感情をどう処理して人は生きていくのかに興味があって、それを言語化することを好んでいます。それに、楽観的ではないから、人生どうにかなるっしょ!って両手放しで思える人間でもありません。過去を悔やんだり、過去に起きたことに因果を求めて彷徨うこともしばしば。体力がないから割とすぐに疲れるし、よく泣く。常に眠いし、毎食モリモリ食べなくたって大丈夫。そして生死の境はどこにあるんだろうとか、人間が生きている意味とか、答えなんておよそない問題を真剣に考えちゃう人間であるのは確かなんだけど(笑)。

でも打算的で、生きていることに対してすごく執着しています。お金もほしい。

(お金がどの程度ほしいかは別として)みんなそうでしょ?私も同じだよ。だからわざわざこんなふうに、あえて自分を語るようなことをしたくないのだけど、他人があえて表に出さないでいる思考を躊躇なく前面に出しがちであるというだけで、「違う」人呼ばわりされるのは、結構寂しいものです。隠すべきだと感じるなら、そう言えばいい。真っ向から反論するし、もちろんTPOはわきまえていますから。

 

考え疲れると思考を放棄して眠るし、眠ったら昨日考えていたことなんてほとんど忘れちゃう。その程度のものです。精神的に病んでしまう人や鬱になってしまう人は事実としているのだろうけど、またこれも事実として彼らと私は異なります。小さな不満はあれど、過去に辛い経験をしていても、私は今、少なくとも元気であると自覚しながら生きています。

決して明るくはないし、単純にいろんなものを面白がることはできないけどそれは趣味・嗜好の問題で、精神の健康さに結びつけられるのはたまったもんじゃない。

別に私は特別でもなんでもなくて、同じような嗜好を持っていて、かつ、不健康みたく括られている人、無数にいると思う。諦めてそのよくわかんない言葉を受け止めて、めんどっちいから反論の言葉を飲み込むのもアリだと思うけど、抗議していいと思うよ。子どもっぽくなんてないよ。抗議して、私は違いますと伝えるのも、言葉の力だよ!

さ、これだけはっきり宣言すれば、言葉通り、「なんも違わないね、ちょっと嗜好が暗いのかな」くらいで片付けてくれるかな。そうだとありがたいんだけど!

「精神が健康でない認定」するのはやめよう、医者じゃあるまいし

「メンヘラ」状態や「病んでる」状態なことは誰にでもあるよね。そしてそんな時は、心が弱っていることが多いから、共感できる創作物や自分を思ってくれる他人の言葉に影響を受けやすい。実際、それを利用したマーケティングや自分の売り方がある。

自分が他人にどう見られたいかを主張する権利は誰にでもあるので、メンヘラと見られていた方がお得な人はそうしたらいいし、そうは見られたくないよ!面倒だから聞いてこないでー!っていう人も、同じくらい主張していいと、私は思います。新しい時代が、今よりもっと、いろんな人が生きていきやすい時代になりますように。


椎名林檎 - 歌舞伎町の女王