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幸福は証明できない

椎名林檎『TOKYO』はどう生きたとしたって<不惑>の頃に死にたくなる私たちを描く

2019年5月27日、椎名林檎の新アルバム『三毒史』がリリースされる。

リリース前の1ヶ月間は宣伝モード一色で、西武新宿駅前の”ユニカビジョン”でのライブ映像配信に、渋谷駅周辺に現れる巨大ボードによる広告で、愛好家の心が賑わう。

一部配信も始まっていて、5/15に配信開始された『TOKYO』は今回のアルバム収録曲のうちの一曲。しかも全13曲の7曲目に配置されている、シンメトリーの中心となる曲だ。

 

東京<TOKYO>と名のつく曲なんて世の中に五万とあるのに、この題名をつけるとは。ついに王道を闊歩するのか、椎名林檎。なんて予想したのもつかのま、そこで歌われているのは、不惑がふと立ち止まった時に感じる「死」の気配だったーー。

 

不惑とは数え年で四十(しじゅう)を表すのだという。

『TOKYO』に充てがわれている詞は以下の通り。

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引用: 椎名林檎 - New Album「三毒史」特設サイト

 

「短く切上げて消え去りたい」ってこの上なくストレートな表現。

林檎さんの詞は分かりづらいと言われているけど、

叫びの肝要となる言葉は、言い換え不能、率直だ。

 

死にたくなるのは、”そういう生き方”をしてきてしまった一部の人間だけだと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。

 

私に向かって「死にたい」とこぼしてきた女性の姿を思い出す。その頃彼女は、ちょうど不惑を迎える準備をしていたのだろう。

死にたいと言った彼女の姿は今でも脳裏に焼きついている。それから私は、”そういう生き方”をしてはいけないと、半ば強迫観念を抱きながら生きる道を探っていたように思う。でも、根本的に違うのかもしれない。それは生き方云々で、見るのを避けられる光景ではないらしい。

 

彼女は、ただ不惑の先に、死の入り口を見ただけだった。それは特別なことではなく、意識するか無意識であるかは別として、揺籠から墓場までのうちで誰もが直面する光景なのではないかと考え直した。

 

 

椎名林檎の初期三部作といわれる『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』『加爾基 精液 栗ノ花』。中でも、楽曲タイトルや曲調から「生死」と結びつけて解釈されがちなのが、3rdアルバムの『加爾基...』である。

加爾基 精液 栗ノ花

加爾基 精液 栗ノ花

 

林檎さん自ら『三毒史』のライナーノーツの中で、

「今回のアルバムは『加爾基...』に近い、揺籠から墓場までが直接的モチーフになっている」と言っているように、『三毒史』収録曲からは、「自らの生死に対峙する切実さ」を確かに感じる。

 

全11曲の『加爾基...』を支えるのは、シンメトリーの中心である6曲目『茎』。「立つたら 強く進まなくては」という詞から、強く生き直すこと、それすなわち「再生」の曲だと私は解釈している。だから『加爾基...』の起点になっているのは「生」である。

ならば『三毒史』の起点は「死」なのだろうか。

全13曲の真ん中に位置づけれられる曲『TOKYO』は、比較対象の『加爾基...』で同位置に据えられている『茎』とは真逆の内容だ。

 

彼女たちが死を起点にした光景を見るのは何故か。何がそれを見させているのか。

25年弱しか生きていない私には、正直なところ分からない。人生の終局を意識する故なのか、死への恐怖故なのか......。

易き解釈はしたくない。その答えは15年先までとっておくことにする。

 

ひとつだけ分かったのは、どう生きたとしても、<不惑>を迎える頃、私は死にたくなるだろうということ。あの日の母と同じように。

 

順調に生きたとして、死への入り口が見えた時「ああ、このことか」と15年後に答え合わせができるよう、24歳の私は「茎」を携えて生きていく。

 


椎名林檎 - 茎(STEM)~大名遊ビ編~