雨を書けるようになりたい私は、この夏ミニトマトを育てることにした
(今週のお題「雨の日の楽しみ方」)
雨と、雨の日を美しく写真に撮れても、暖色の光が照らす部屋ではその写真をみてもあまり感動しない。
少し気分が落ち込んだときや、ジメジメした生活を愛してしまう日、私は言葉で雨を読みたい。
現実の雨ってこんな感じだよね。
紫陽花は、英語でhydrangeaっていうらしい。ajisaiではないのだといま知った。
なかなかないよね、紫色と青色の紫陽花がどちらも生えている場所。
ジメジメした日常を愛している。はつらつより、ちょっとだけ信頼できるような気がしている。だけどよくわからないところに力が入っているせいか、花を飾るほどの心の余裕はない。
To Do 花瓶を買う
To Do 紫陽花を買う
玄関先に咲いていて自由に摘んでこれてちょうどいいサイズの花瓶をプレゼントしてもらって、花が半年くらい枯れないでいてくれるなら飾るのに。
To Doを達成する機械的な工程が、しみじみと愛でられる日常につながっているのは世の常なのでしょうか。丁寧なくらしはTo Doの積み重ねで成り立つのでしょうか?
雨の日の渋谷か。これまで縁がなかった。雨で連想する光景はなぜかいつも殺風景。
だけど雨のなか、渋谷センター街を歩いている人の心の中をのぞいたら、彩度がいつもと違う気がする。
伝えたいとか伝えようとかそういうのではなくて、見たものを見たとおりに書く技術。色と音を文字で表す技術、ああほしい、ほしい、ほしいほしい欲しくて欲しくてたまらない。手の中にないなら、本を読んで街に出て人と話して。でもどれも心が晴れていないとできないことばかり。
だったら晴れよう。晴れるしかない。晴れたい、晴れて。まずは部屋にあじさいを飾ろう、次にミニトマトを育てよう。