見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

宮沢賢治は語呂がいい

自分の中にまだ外に放出させて余るほどの蓄積がないことを当然のように捉えて未来を楽しめるようになりたい。もし何か書くとするなら、生きる方に向かってグラデーションを重ねたい。

 

たったいまは国語教師の女がピアニストに恋をしてほしくて、その女は音と同化して体が軋んだりするんじゃないのかなって思った。それってすごく生きてる、はあ。めっちゃ気持ちいいとき快感で鼻の奥がツンとなるやつは絶対書きたい。そう思うと、思考に突き刺さるような明晰な一文より、もっと先に体に来る表現を好んでるんだろうな。まあ憧れなのかもしれないし、その憧れを目指すかどうかはよく考えた方がいいと思うんだけど。あと、ひとりでずっと閉じこもって自問自答してぬいぐるみに話しかけても「答えが返ってきませんように」って思ってる人(笑)。そういう人を書きたいのか、そういう人が書くのかは定かじゃないけどやってみたい。