見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

言葉が入ってくるのも心が動かされるのもしんどい日

今日は暗い気分なのでそのまま暗い感じでいきます。なんかね、言葉やら映像やら音やら光やら、ありとあらゆる情報や現象がもう、しんどいっていうときがたまにあります。それが今。

理由があるときもあれば、ないときもある。不機嫌とも違くて、ただただ無為に居たいだけ。人と暮らすのは無理だなあなんて、こうして文字を叩いているから頭に浮かぶ言葉なんであって。こういうとき、目の前の問題をまずは紙に書き出してみようとか、事実と感情を切り分けて考えようとか、いろんな療法があるみたいだけど、とてもとても……そんな元気と明晰な頭脳があったらこんな虚無を見つめてはいないだろうよ。

虚無というと、マイナスな雰囲気が漂う単語だねえ。虚しくて無いものだからかねえ。でもこれが助けてくれるんですよ、諦めさせてくれるんです。時間がただ過ぎていくのを見ていて、少しずつまた、何か物事を考えたり本を読んだりテレビを見たり料理をしたりする気分になるんです。そうです。すべてわたしは気分の奴隷です。

無為に過ごそう。

回っている洗濯機をぼーっと眺めたり、窓の近くにおいた花が風に吹かれる様子をじーっとみたりしよう。そのうち昨日届いた新しい布団を敷いて横になって目をつぶって深呼吸を繰り返して寝よう。冬眠じゃなくてさ、いつだって寝てたいよ。誰かと関わると傷つくしどうせ傷つけてるし。人の目を気にしないでいたいのに結局、序列がそこにあって、なんかもうずっと前から耐えていたかのような気分だよ、誰にも何もされてないけどね。

胸が痛いっていうのは辛いんだ、物理的に痛いんだもん。あーって、現実で抱えている問題に対する悲しみーとか、苛立ちーとかとまったく違うところで、え、痛いんだけどちょっとちょっと、みたいなアラートが鳴る。生きてるんだなあ、体だなあと思う。こういうときって、我にかえるというかなんというか全力で理性が働いている感じがする。その機能が壊れてなければ逆に安心ともいえて、別に死のうとかそういうことは思ったことがないけど、「あー死ねないわこれ、理性が死ぬことを許してない」って思う。痛みを感じる、痛みを感じてちょっと諦めて、はあ。お腹が空いた。

ごはんを食べて、眠くなって、寝る。