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最近考えている文章についてのあれこれ(2019.7.7)

いまに始まった話じゃないんだけど、日ごとに文章を書くこととどう向き合っていくかのスタンスがぶれるんですよね。少し前までは、軸が定まらない自分にものすごくいらいらしてたんだけど、でもここ最近は、ぶれること自体を楽しめるようになってきたような気がします。

 

私はいったい何になりたいんだろう......ってここ4年くらいずっと考えているのだと、ようやく自覚しました。自分が考えている事実にすら気づかないまま、いらいらしたり、決めた気になったり、右往左往していたと思うとああ恐ろしい。

その間にも進展がありました。例えば転職をしてみたり、こうして他人に公開する形で文章を書いてみたり。動いてみなきゃわからないことがたくさんあるし、続けているうちに自然と心が決まっていくというのは、先人たちの教えの通りである。

 

今後も文章を扱う仕事は続けたい

転職して、いまの会社に入社してから半年間くらいずっと、「やっぱり仕事で文章に関わるなんてやめよう、好きなことは仕事にするもんじゃないってホントだったんだ」なんて思っていました。それが今では、(9ヶ月くらい経った、だから直近3ヶ月くらい)「一日中、文章表現とかコンテンツに触れながらお金稼げるなんて最高じゃん」なんて思っているんだから、一時の感情ほどあてにならないものはないですね。

 

なぜ心境の変化が生まれたのかは自分でもよくわかりません、徐々に変わっていったって感じ。

自信がついたからなのか、会社の居心地がよくて純粋に「仕事内容」だけでやりたいorやりたくないを評価した結果、やりたい気持ちがクリアになったのか......。

 

ぶれがちとはいえ、今後心変わりして「いや、やっぱ国家資格とって堅実に生きていこう」と思うことはない気がする。これもあてにならない感情でしょうか......。

 

進む方向を決めるには、ある程度の期間費やすのを前提に、挫折したり迷いを抱えたりしながら、とりあえずやってみる的なプロセスを踏む必要があるんだねと思いました。

いまの会社にいつまで在籍するかとか、今後の働き方の形態とか、まだ何も決まってないけど、今後も変わらず文章を扱う仕事に就くつもりでいます。

書きたいものと書けるものが違うからぶれる

「文章を書いて生きていける人になりたいなあ」などと、超漠然と願ってはいるものの、「あんた何書きたいの?」と自問すると、これまたぶれまくります。

 

SEOなんて書いたって何もおもしろくないよと思ってたけど、SEO意識したブログを始めてみたり、人に読んでもらえなきゃ仕方ないという焦りから、流行りのエモいエッセイを書いてはみたり。(案の定続かなかった。)

 

純文学作家になりたいのか、エッセイストになりたいのか、ブロガーになりたいのか、ていうか別になんでもいいのかな......?そもそも、ホントに書きたいことなんてあるの?書く人になりたいんだっけ、あれ?

思考ぐるぐるエンドレスループ、これが続くうちに、自分の浅さに絶望して、低い自己肯定感がまた低まっちゃうんですよね。

 

まあ現在進行形でエンドレスループ中ではあるんだけど、でもとりあえず今のところ「全部。(上に挙げたもの全部書きたい!)」っていう仮説を受けいれはじめています。

 

書きたいものについて、あえて優先順位をつけるとすれば文学>エッセイ含むその他>ブログ

 

でももう少し、個人の経験とか思考に寄り添ったものを書こうとすると、エッセイとか文学になるんですよね。じゃあその二つの違いって?

エッセイは自分ごとメイン(自分と自分を取り巻く世界のことを書く)で、文学はもうちょっと広く自分から離れられるし、異世界のことを書いてよし。エッセイは基本的に回想と共感、文学は表現と提案だ。そうね、どちらも捨てがたい。

 

ただ実力的に、表現力のMaxが1000だとしたら50くらいだし何かを提案できるほどの構成力も経験も蓄積もないんですね。そうすると、どうしても半径30メートル以内の共感話になってしまうわけですよ。書きたいことを書く実力がないので、今は。このブログもそうですし。

だからと言って、稚拙なものしか書けないから書いちゃいけないわけでも、書こうと思わないようした方がいいわけでもないので、引き続き、「書きたい」気持ちはもって臨もうと思います。

 

伝えたいことはとくにないし、人の心を揺さぶろうとも思っていないので 

そもそもなんで書きたいのか、ここがたぶん肝要なところなのよ。まあ答えなんてそうそう簡単には出ないんだけど......

書きたい理由はよく整理できていないけど、ひとつは自分の感情の放出がしたいから。もうひとつは、生きててもいいんだ〜と思える心の拠り所がたまたま文章の中にあって感動したから、私もそっち側にいけたらいいなあと、漠然とした憧れ。なんだろうでも、受け手側の気持ちみたいなのは一切考えてないんですよね。結局主語は、「私が」そっち側にいきたい、「私が」書きたい、だから私の個人的な願望に終始していて。

 

読み手にこう思ってもらいたいとか、読み手の心を揺さぶりたいとか、感動させたいとか、そういうことではない。私は書きたいものを書けるようになりたいのであって、そりゃあ読んでくれる人がいなきゃ始まらないし、読んだ人が時間無駄にしたと思うようなものは書きたくないのだけど。だけど、どこまでいっても文章の中に何を見出すかは読み手の自由なので、「私の文章で人を感動させるぞ〜〜〜」と思って書くのは違うでしょっていう確信があり......結局書きたい理由は、全部自分のためです。

 

文章を書く動機として、「誰かに感動を与えるため」に比べたらまだ「自分が有名になりたいから」の方が近い気がします。

 

だから私は、まずは書きたいものを書けるようになってください。

そして願わくば、それが誰かの手元に届いて、なにかしら新しい価値なりきっかけなり色なり、書き手が想像だにしていなかったことを自由に見出してくれたら嬉しいなって感じですね。

結局誰かとつながらないと、ひとりでは生きていけませんので。 

 

 

 

 

 

 

きのこ帝国『夢みる頃を過ぎても』描いた理想が消える直前の煌きと、長い夜の終わりを歌う

夢を見ているとき、自分が夢を見ていると気がつくことはそうそうない。

 

だから夢から覚めたとき、はっとする。いったい私は今までどこにいたのか、何を見ていたのかと。しばらく夢と現実がごちゃまぜになって、地べたに足の裏をしっかりとくっつけて目を開きながら、夢をこさえることがある。それは妄想だ。

 

ほとぼりが冷めると、気がつく。あれはぜんぶ夢だったと。

私の希望であり期待であり、手の温もりで守っていた理想だった。

 

叶わなかった夢を振り返る瞬間、季節がひとつ先へ進む。気づきたくなかった。

雨上がりのアスファルトのように濡れて光っている。

そこかしこで煌いているのは、この前まで描いていた理想の断片。

 

どんどん蒸発して、空気に溶けていく。

目には見えない、何の音も聞こえない。恐ろしいほどに静か。無色透明な現実に吸収されて、消えて無くなる。

 

夢はたいてい、淋しく虚しい。いつまでたっても触れることができない。できないまま、消えてしまう。

消えていった理想に思いを馳せ、目を瞑れば一瞬で朝が来る。開けていた窓から、思った以上にひんやりした風が入ってきて、左の二の腕を右手でさすった。

そうだ、明日もこの腕をぶんぶん振って歩くのだろう。

 

そろそろ眠ろう。

 

現実は甘くない。物事は期待どおりには進まないし、滑稽な格好で踊っている最中だろうか、あっちこっち擦りむいていて全身がくまなく痛い。

 

だけど心の奥底でぐっと踏ん張って、意識のずっと遠くの方で、細い糸をピンと張って。両手を身体の脇に置いて、朝が来るのを受け入れる体勢をとる。

 

グーに握っていた両手を開いて太ももを撫でると、動悸がし、僅かに身震いした。いたらぬ精神を乗っけた肉体をいつかあるべき場所へ向かわせてくれるのは、結局のところこの両足でしかない。

 

もうすぐ眠る。

朝が来るのは恐ろしさもあるが、やはり尊い

夢があろうがなかろうが、夢が消えたって現実が苦くたって、誰がなんと言おうが朝が来るのは尊いのだ。

 

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金木犀の夜 / 夢みる頃を過ぎても

金木犀の夜 / 夢みる頃を過ぎても

 

 

この他愛無い覚悟と人知れぬ葛藤は、きのこ帝国『夢みる頃を過ぎても』という曲の中で、「明日(あした)に落ちてく」と表現されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

とってもとても淋しい、とってもとても淋しい♪

もしかすると一生このまま頭の病気みたいに生きていくのかも!

何も冷静に考えられなくって、文字に起こすとそれじゃない表現が上滑りして意味が伝わらない言葉が並んじゃって。

二言目には「意味わかんない」って言って、ホカホカのご飯は外でしか食べれなくって仕事はかろうじて回しながらなんとか食いつないで、そのうち周りから人が消えていって頭が変なふうになった自分だけが世界に残るのかもしれない!

 

そんなのはいやだけどじゃあどうしたらいいの?って考えても、人に聞いても答えなんてすぐに出ないし、やっぱ「意味わかんない」って絶叫して眠るくらいしかやることがなくって。

 

早く説明したい。

なんで午前4時30分に西新宿四丁目の交差点を徘徊したのかとか、リゾナントブルーを聴きながら山手通りを東中野に向かって歩いた話とか、今喉の奥にへばりついてるものの正体とか指輪が汚れちゃった話とか、汚れちゃったってなんなのかとか、言いたいことはいっぱいあるのに全然全然言葉にならない。頭がおかしくなっちゃってるからで、それは感情がひっちゃかめっちゃかだからで、その要因はどこにあるのかわからないからなんだけど、でもひとつずつ検査してる間に人生終わっちまうような気がしてるし、それでも別にいいかなとすら思ってるし、結局何がしたいかだのどうしたいかだのってそう簡単に答えが出ないんですよね。

 

淋しいときに書いた文章は、淋しさが滲み出ると思いますか?いいえ思いません。説明不足すぎて解釈の余地が大きい文章、パクッとした表現=自分しか再現できない光景と心理描写の連続で、全然なんにも伝わりません。

 

狂った実話ばかり溜まっていって、結局そのネタどうすんのって。

喉にへばりついている何かを今すぐどうにかしたい、取り急ぎ。