見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

時間を気にせず玉ねぎを炒めたい

一日の中で、大量の玉ねぎを炒めている時間にいちばん充実感を感じる。仕事の数倍は有益で価値のあることをしてると思えて心が落ち着く。今のところ玉ねぎ炒めのストックだけが、ちょうどいい塩梅で昨日と今日と明日をゆるやかにつないでくれている。守りたいものと、どうでもいいものの差が激し過ぎるのかもしれない。玉ねぎストックはちょうどその真ん中で、あると助かるがなければないで仕方ない、その程度のものをせっせとこしらえる行為に価値を感じている。

玉ねぎを炒める時間を増やしていけば、日常に漂う虚無感からも解放されるんだろうか。

【感想】「ブルーピリオド」しんどさの正体は嫉妬である

2020年にマンガ大賞を受賞した巷で話題の「ブルーピリオド」を週末に全巻読んだ。ネタバレしない程度に感想を書く。ブルーピリオドのGoogleのサジェストに「しんどい」とか


まず主人公が持ち合わせている器用さや、世間に対して妙に達観しているところが、自分と重なる部分が多く1、2巻は読み進めるのがしんどく感じた。漫画の中で出てくる大人たちや、主人公が高校生のころにかけてもらった言葉と、わたしがもし高校生の出逢えていたら?などと考えてページを捲る手を止めてしばらく物思いにふけっては、いやいや過去には戻れないのだからと読むのを再開する。そして話が進んでいけばいくほど、主人公=好きなものに向かって突き進む(好き、の定義はあえてここではせず漫画の中に出てきた言葉を借りた)様子と、「大人の考え」を子ども時代から貫き通した結果、"生活できる"ことを最重視して物事を選択してきた、そして現在進行形でその選択をしている自分との距離が、果てしなく遠く感じて全くもって感情移入はできなくなる。オリンピック選手のドキュメンタリー見てもその人生や選択にあまり興味がもてず、何メダルをとったのか、結果にしか興味が持てないのと似ている。


ブルーピリオドは、それまで勉強も人間関係も器用にこなす一方、虚無感に苛まれていた主人公、矢口八虎が絵を描く楽しさに目覚めて藝大受験、美術の道を志す物語だ。藝大受験篇と美大生篇に大きく分かれていて今は美大生篇の最中である。主人公は天才型か努力型かでいえば完全に後者で、それゆえ壁にぶつかる度に実験と反省を繰り返し乗り越えていく。その点でいうと、ブルーピリオドの主人公、矢口八虎は、競技かるたをテーマにしたこちらもスポ根青春マンガ「ちはやふる」に出てくる真島太一と被るところがある。八虎は自分のために美術をやっているのに対して、太一は好きな人のために競技かるたをやっているという、大きな違いこそあれど、本人の持つ特性は似ているように思う。もともと器用で内省する力がある。「ちはやふる」で太一推しのわたしとしては、どうしても八虎は、自分のために自分の好きを貫き通す、真島太一のパラレルワールドを見ている気がして、その意味で何度か泣いた。(何の漫画読んでるんだっけ?)


ブルーピリオドである。とにかくわたしは、主人公の八虎に対して全くもって共感できず、ただただその後の展開が気になるというだけで読み進めていたように思う。一番大きな理由は、わたしは八虎ほどの真面目さを持たず、逃げることを良しとして年をとってきたからだろう。八虎がつまずき立ち止まるところで、つまずいたとしても歩き続けた記憶がある。とにかく「大人の考え」で生きてるわたしは、歩き続けなければ立ちゆかなくなる。だから八虎が、悩み始めてから二ヶ月後ぐらいに答えが出る問いを、わたしは平気で三年ぐらい考えていたりする。そして八虎が出す答えは、長い目で見ると「それじゃない」ものもあると思っている。

渦中にいると本質なんも見えなくなって堂々巡りしたり、は?それ?みたいな結論出して暴走したりしちゃうことあるよね……(byわたし)

分かったようなことを言うのは簡単なんだわ。


わたしは真面目じゃないから、というか真面目であることに、相対的な価値を見出せなくなってからそれを意識的に捨ててしまったので「時間かけなきゃわかんないこともあるよ」と言って、諸々の問題からいったん逃げるのコマンドを選択しがちだ。実際それでも考えるのはやめられないし、全く予期せぬルートから答えらしきものが見つかって納得できたりするものだから、逃げるのは悪じゃないと思っている。真正面から考えてるとその時間は他のことができなくなるし、それによる弊害もある。真面目が良いとは限らない、わかってる。

だから八虎を見ていると、やきもきする。なんというか、そう、嫉妬に近い!ここまで見ていて嫉妬する主人公、これまでにいただろうか。いや、いない。天才型の主人公に感じるのは憧れや陶酔感、スカッとジャパン的な気持ちよさ。努力型の主人公には、共感や応援だろうか。八虎は努力型なのになぜだろう、純粋に共感したり応援したりできない自分がいる。真面目さを捨てたことに対する後ろめたさか? どっちも取るなんてできないのにね。真面目に、愚直に、やり続けられなかった自分を正当化したい気持ちが湧き上がって、八虎よ〜、それじゃないんだよ、とか、いやだからそんな簡単に答えは出ないって、とか心中穏やかじゃない自分がいるんだろうか。

思えばこの漫画、全篇通して主人公はじめ登場人物が抱く他者に対する負の感情は嫉妬である。猫屋敷あも先生から世田介君へ、世田介くんから八虎へ、八虎から世田介くんへ、嫉妬の感情が向けられている。読者のわたしは、八虎の真面目さに嫉妬している。真面目を貫く環境にもたぶんモヤってる。読者として八虎に対して嫉妬を感じる人がどれほどいるかはわからないが、登場人物同士の嫉妬や主人公への嫉妬こそがブルーピリオドを読んでいる何割かの人が感じる「しんどさ」の正体ではないだろうか。おそらく皆、ドラマ的なストーリー展開にやんや言いたいわけじゃないだろう。藝大入試の倍率とか主人公がバイトしないこととかそういうのに物申したいわけじゃないはずだ。

わたしの場合だ、自分が、やりたい、成し遂げたいと思ってることを、今やらない理由を正当化したいだけなんだろうよ!と気づいたんだよ、この漫画を、矢口八虎の凄まじい真面目さ通してよ……!八虎がぶつかる壁や、その度に導き出す結論、次にぶつかる壁、その理由、全部を俯瞰で「理解」できちゃう自分に腹が立つ。わかってるんだよ、ぶつかったことあるよ、その壁。で、逃げて、数年経ったら結論が出たんだよ。渦中にいるとどうしても最短距離で出た答えに飛びついて、合ってるかどうか自信がなくてもやってみるしかなくて、手応え無くして終わるあの感覚も知ってる。だから合ってるかどうか自信がないときは止めて、一度壁の前からそそくさ逃げて、戻ってくるかどうかはその時の運命で決まるのさラララ的なノリで時間を稼ぐ。わたしがそんなラララをやってるうちに、八虎は十も二十も作品を作っている。完全じゃなくてもたとえ後退だとしてもその苦しみながら進む一歩一歩が血肉になって、地力を作るって、「真面目」なわたしは百も承知なんだっつーの!

言われなくても知ってるよ、楽をしてるだけだってね。はいはい、わかってるよ……と言いながら11巻を一気読みしたのでした。

とはいえ一生懸命であること、一心不乱に好きだけを突き通すことが必ずしも「良い」わけじゃないからこれまたね。寄り道したから分かること、時間をかけたから理解が深まることもあって、それがいずれ作る作品をずっと遠くに連れて行ってくれることだってあるのだから。ブルーピリオドについて一つ言えるとしたら、これらの価値観を体現する存在が、藝大の多浪入学組のように思う。だから主人公や天才型のキャラクターだけじゃなくて、多浪入学した皆さんや美大には行かずその道で活躍されてる方だから、そこにもっとスポットライトを当ててほしい。言葉ではちゃんと示されていたけどね。でもせっかくならばストーリーを与えて説得力を出してほしい。そしてここまで描いたならば、各人が嫉妬の感情をどう乗りこなしていくか、その道筋を見せてほしい。一読者からのリクエストです。