見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

時間を気にせず玉ねぎを炒めたい

一日の中で、大量の玉ねぎを炒めている時間にいちばん充実感を感じる。仕事の数倍は有益で価値のあることをしてると思えて心が落ち着く。今のところ玉ねぎ炒めのストックだけが、ちょうどいい塩梅で昨日と今日と明日をゆるやかにつないでくれている。守りたいものと、どうでもいいものの差が激し過ぎるのかもしれない。玉ねぎストックはちょうどその真ん中で、あると助かるがなければないで仕方ない、その程度のものをせっせとこしらえる行為に価値を感じている。

玉ねぎを炒める時間を増やしていけば、日常に漂う虚無感からも解放されるんだろうか。