傘を広げテレビをつける
「音楽を聴いて元気になるとかそういうのママ全然わかんない」
幼い私が憧れるもの
私生活は順調だが、たまに眠れなくて、そういうときはだいたい頭の中に根拠のない不安が渦巻いている。お腹が空いてるのかもしれないと思って、お茶漬けやパンを食べる。寒いと余計に不安になるから、背中の高い位置にカイロを貼る。
世間では自粛という言葉が流行ってるようだが、私は自粛してると思ったことは一度もない。いつも人と、なぜか足並みが揃わないことが不思議だ。行動ではない。内心の、心の、言葉の。人や経済が死にかけているのに、私は喜びに満ち溢れている。「乗り越えよう」「我慢しよう」が合言葉な社会。みんなは合言葉があっていいな、と思う。その直後、いいかげん自己を確立してください、と思う、自分に対して。自己とか自分とかいう言葉は苦手だ。際立たないで、もっとこう、自然に、その辺の空気に溶け込んでいてほしい、意識する間もないよう。そうして個性をつぶし内心をネグレクトした結果が今で、昨日と今日は連続していて、他人の雑音のせいではないのに。
職場のおじさんからの、今度LINE交換しましょうというメッセージを、ずっと無視している。私はいつも他人という全体に憧れがある。
悲しい時はすぐに泣く
悲しい時は存分に、涙が枯れるまで泣いたほうがいい。予定も仕事もキャンセルして、家で大声をあげて、頭が痛くなるまで泣くのがいい。我慢しているうちに悲しみが悲しみとすら認識できない彼方にいってしまうと厄介で、手がつけられない化け物になって襲ってくる。小さな悲しみを無視しないで、その度に泣いてしまうのは生きていく上で大事な営みだ。
悲しい時に物事を考えるのはやめた方がいい。どんなに理屈が通ってたって、通ってなくても、その正しさは自分を追い詰めるだけと知った。ポリシーとかいう抽象的なものでがんじがらめになるより、明日のご飯は何を作ろうかとか冷蔵庫にあるひき肉はだめになってないかとか、そういうことを考えるようにしたい。
今までうまく対処しようとしすぎた。どこで無理が生じることは半ば分かっていたけれど、騙し騙しやってきた。が、壊れる瞬間は突然で、これまで是としていた価値観がバラバラに砕けて制御できなくなった。坂を転げ落ちるとはまさに。滑り落ちていくような感覚の中、もう何かにつかまることも諦めてただただ重力に身を任せるような日々だった。思い出すと頭がぼうっとしてくる。
…….嘘だ。もっと必死だったじゃないか。喉元過ぎて熱さを忘れたのだろうか。必死で必死で藁をも掴む思いで、日々、でも何をしていたんだろう。思い出しても美しくないものは、自動的に闇に葬り去るシステムになっているのか?
何をしていたんだろう。思い出せないような記憶に飲み込まれる前に、私はただ泣くことしかできない。