見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

ねえねえ、君は天才じゃない

自分のことを、ドラマの主人公みたく天才だと思いたくて仕方がない病は小学生の頃から治っていない。それに最近は、持病が悪化して、「天才気取り」で行動しているのが末恐ろしい。

 
天才気取りの行動とは具体的に、
・ろくに見聞きしていないものについていくつかのケースを持ち出してわかったつもりになる
・規則正しい生活をしていない自分に最高のパフォーマンスを期待する
・場当たり的にひらめいたことを最善策だと思い込んで行動する
・努力を継続しない(20年くらいずっとそう)
 
——天才は努力しない。すぐに答えをひらめく。悪いもん食べててもろくに寝なくても、脳はピラメキ、一発逆転!大どんでん返しでちゃんちゃん……。
 
こうであったらいいんだけど残念ながら私は天才ではない!うわー!「天才じゃない」って事実を認めるのは結構クルものがあります。私ですか?ええ、今年で24年目です。
自分に天才の降臨を期待してる365日のうち360日くらいは、めちゃめちゃ省エネルギーで生きてる。パフォーマンス自体が高いのか低いのかは正直わかんないんだけど、少なくとも省エネで生きてんな〜〜って自覚は、ある。天才を期待せず、ちゃんとギア入れて生きたらどんなふうになるんだろう?パフォーマンスが高くなるのかどうかはわかんないし、めちゃめちゃ疲れて3時間くらいで終わる可能性もあるけど、ちょっと試してみたい気もしている。
今までも一念発起して、「ちゃんと生きるぞ!」みたく思ったことはあったんだけど、総合的にもれなく2日で断念。まあちゃんと生きるの定義が曖昧すぎることも続かない一因であるのだけど。それにしても朝、会社に遅刻しないで済むいちばん遅い電車に間に合わなくて猛烈ダッシュ×定期忘れる、みたいな展開がきて、即刻ちゃんと生きるチャレンジ終了みたいな。そういう人生よ。
 
飽きもせずまた、ちゃんと生きるチャレンジをやろうとしてるんだけど、今回はちょっと設定というか、前提を変えてやってみようと思う。
 
まずね、私は天才じゃないってこと、しっかり自覚する。さすがに、天才だぜいぇい!みたく生きてきたわけじゃないけど、だからといって、いやいや私は天才じゃないから……みたいな謙虚さはなかったからね。(いちいちこんなことに言及しないと自覚を持てない時点でマジで重い病だ。)
あとはこれまで、「天才」かもしれなかったからやらずにいた、ちゃんと生きるを定義する。ちゃんと生きた方がいいよ、もう、だって30才になるんだよ!!!!あと数年したら!楽しいらしいじゃないですか?とはいえ、これじゃない生き方の連続みたいな20代過ごしてたら、楽しめるもんも楽しめなくなるような気がしませんか?
 
まあ、これって決まりの、痛快な解なんて一生巡り会えない可能性もあるけど、見つけもしないで、これじゃな〜い、あれじゃな〜いと言っているのも結構飽きてきたからね。
違う違う、小洒落た言い方したね。見つけてきたつもりではあるんだけど、天才気取って努力とか行動とか間違うとかの量がまだ足りてない自覚はありつつ、見つけられなかったっていうのが正直なところです。
 
心地の良い生き方を見つけられるかどうかよりも、それをその時々の全力で、見つけに行き続けたかどうかが、そのまま人生の「結果」になるとしたら?天才待ちをしているよりも、もしかしたら簡単に、納得できる結果に繋がるかもしれない。そんな打算と希望を持ちつつ、ゴールデンウィークも終盤。紙とペンを持って人のいる場所に繰り出してみる。(いま何時?)