はじめから少年でなかった者のクレマチス
無邪気で、頑固で、明日も同じ日が続くと信じている少年たち。
彼らにはいつだって仲間がいて、自然の摂理を取り入れながら淡々と日々を過ごす。
たまに大人みたいな顔をして物を言う。一理ある。
こちらが正論をはくと、見透かしたような目でこちらを見るか、俯く。
俯く選択肢が当然に与えられていることに腹立たしい気持ちになる。
なぜだか、少年の隣には少年が似合うけど、それ以外の人間の笑顔が似合わない。そんなことに、当の少年は気づくはずもなく淡々と生きている。
センター試験の国語の小説問題にはよく、少年でいられなかった登場人物たちが出てきた。なぜそんな小説ばかり出してくるのか、疑問で仕方がなかった。私もはじめから少年ではなかったので、共感できた。正解を考えるというよりは、共感でマークシートを埋めていた。
ただ、少年でいられない登場人物たちの苦悩ばかりが題材となるのは、なんだか、少年でいられない者に対して忖度が行われているようで腹が立った。
実のところ、少年はあちこちで溶けたり、消えて無くなったりしている。
時間が追いかけてくる感覚も、体が動かなくなっていく感覚は、少年たちにもあるのだろうか。あるのだとしたら、その渦からどうやって守りきるのだろう、少年がもつ、トゲトゲしいそれを。守りきれずに消えていく時、どんな顔をするのだろう。
隣でその一部始終を見ていたい。できれば抱きしめていたい。
だけどその時、私は笑顔ではいられない。物理的に、少年の近くに居り、それでいて笑顔の人間がいたとしたら、それは村人A,B,Cだ。
少年はきっと私に、笑ってという。
側にいる者が笑ってくれないこともまた、少年を飲み込む大きくて暗い渦なのだろう。自分自身がそんな巨大な渦になっているなんて、光栄である。なんせいつだって、勝負を挑んでいないにも関わらず、彼らには叶わなかったのだから。
私の夢を奪い、道を塞ぐのは、いつだって少年だ。生まれた時からずっと、少年の侵略に遭ってきた。いつまで、彼らの侵略に荒らされ、嘆き続けなければならないのか。私の人生は、少年のためにあるのではない。
はじめから少年でなかった者は、少年に奪われることのない何かを探り直さなければならない。
少年を目指すな、少年をのもうとするな。
彼らを愛している。ならば、彼らに奪われない自分だけの宝物をもって守るよりほかない。きっとその時、少年の望みどおり私たちは笑えるはずだ。
少年を守ってはいけない。