見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

追体験を願って喜ぶ、しなる心の底がほしい

この世に存在していることは知っていたけど、「どうぞ」といざ差し出されると怖気づいてしまう。一応もらうんだけど、置く場所はないから無理やり詰め込む。それをくれたおじさんと出会った場所には、なんとなく体が避けて近づけない。


見透かされたのが居心地悪いのか、無理やりぐいっと広げられたようなちょっと傷ついたのか。もらったものが、自分と近しい物質でできていればもっとすんなり受け入れるだろうし、遠すぎるものであれば道端にぽいと捨てて空気に溶ける。
 
いちばん厄介なのは、持って帰らないといけないような気がするもの。何かよくわからないけど、持って帰ってきちゃったものだ。
 
本を読んでいると、「なにかよくわからないけど持って帰ってきちゃったもの」がある。だいたいそれは液体だ。
 
ある、それ、知ってる
っていうなんだかわからないものが、活字と一緒に頭の中に入ってきて、どくんどくんいって、体の中から出ていかない。
 
それをそのまますとんと受け入れて消化するとか、忘れちゃうとかできたら、楽しいものを純粋に楽しめるのに。
 
いっぱいになってもう入りません、だからスペースを作りたい。どうするかっていうと、流れ込んできたものを成形して、固めて、収納する作業をする。でも成形しちゃうと途端につまらないものになる。悲しい。
 
成形するための容器<型>は、自分が知ってる形ばかりだから。おんなじようなセメントが、いくつも並んでいる頭と心。
 
こわいなあ。
今、この瞬間は流れ込んできたドクドクをそのまま流している状態なんだけど、苦しい。
 
流しっぱなしに耐えられるほどの強度がほしい。自由に形を作り出せる、シリコンの原料のようなものもほしい。
 
ドクドクドクドクいってる。