見つけておねがい見つけないで

幸福は証明できない

「頑張ったね」

 ちょっと震えて匂いを嗅いだら甘そうな汗

 「頑張ったね」

止まってもいいのかな?きょろきょろした

速度を落として歩きながら考える。

今まで言われたことがなかったかもしれない、

いや、昨日も言われたかもしれない。心に留まらなかっただけで。

 

距離感の問題なのかな

近すぎれば軽くて、すぅっと耳元をすり抜けて前方へ溶けていき言葉を追いかけるようにして歩みを止めない。もっと近いと、あなたは私だから、頑張ったねなんて言えないのかもしれなかった。あなたは私が止まるのも、自分が止まるのも怖いんじゃないかと思うの。母と娘の距離感って、たまにそれくらい近くて輪郭が重なってる時がある。基本的にうちは重なり合って前へ前へ、という感じだったからお互いを立ち止まらせるわけにはいかなかった。誰も止めてくれる人はいなかったしそれを望んでもいなかった。だから聞こえなかったのかもしれないね。

遠くの人はもっと別のことを言う。例えば、頑張ってるねとか、がんばろうねとか。

「頑張ってるね」は手は繋いでなくて、運動会でいうところのあの地面にささったくいみたいなやつに縛られたビニールテープの中と外みたいな、容易に立ち入れない関係。握手しながら「がんばろうね」とは言わない。背中合わせで、よーいどんする瞬間の方が似合う言葉だと思う。向き合っていうよりうそが無さそうで私は好きだ。

心の距離が遠い人に頭を撫でられるのは好きじゃない。ザワザワする、庇護欲の対象にされてるような気がして。当人にそんな気はあるのか、無意識なのか、だとしたら怖いとすら思う。すこし自分に意識を向けた方がいい、外側から憐みすら感じる。いま何か言ったか? 二人の間に、真ん中よりすこしお前よりの足元に聞き取れなかった言葉が落ちた気がした。

頑張ったね という言葉が私のもとに届いてしまった。開けたら私の人生も世界もすべて終わる爆弾みたいだ。こそばゆい、顔が痒い。甘い匂いが漂う。桃みたいな色をしてるかもしれない言葉だった。手渡されて受け取った瞬間、あ、と思った。弱くなってしまいそう。せっかく強気な感じでやってきたのに。最近仕事が多忙で、だからこそ毎日が早く過ぎ去っていくことに快感を覚えていたところだった。そういうふうに私は言った。小さな声で叫んでいるように見えたのだろうか、恥ずかしいな。でも毎日が早く過ぎていくことに安心してもいた。このまま平穏に過ぎていき、年をとって死ぬ。上司も、先輩も、友だちも不倫して泣いてるあの子も昔好きだった男も彼氏も親もみんな死ぬ、もちろん私も死ぬ。安心だ、平等だ。いつかを待つよりすこし能動的に生きてる。今日も終わる、明日が来る。あっという間に一年が過ぎ、さて。なんて思っていたんだけど、もしかして何かまだ知らないエッセンスがこの世界にはあるのかもしれない。生きてると発見がある。正確に言えば、期待以上、発見未満。開けたらバーンって終わっちゃうと本気で思ってるわけじゃない。べつに全てを知ってるわけじゃない。

「たかが二十数年だろう。それに今より弱くなったって死にはしない」

「わかっちゃいる」

「どうするんだ」

「聞かれなくても決まってる。包みましょう」

受け取っても開けなくてよくて、ただできるだけ綺麗な色の、持ってる中でいちばん薄い紙を取り出す。